わけがわからない高齢者の行動には、「理由(わけ)がある」という。
人間は自分を肯定し、自分にとって都合のよい情報を無意識のうちに記憶する。だから、高齢者老い先短いことを気に病まないし、都合の悪いことは思い出さない。
また、自分を何歳だと思うかという「主観年齢」が若いので、自分を老人だと思っていない。
そのため、「年寄りの冷や水」をするし、シルバービジネスに関心を持たない。
なおかつ、高齢者は自分のことを自分でどう認識しているかという「メタ認識」で、「自分は有能である」と思っているので、運転免許を手放さない。
几帳面だったのに、年をとってだらしなくなったのは、衰えた機能にあわせた暮らし方をしているから。
高齢になって甘い物好きになるのは、味覚が衰えても甘味は最後まで感じることができるから。
些細なことでキレるのは、身体や認知機能の衰えにより不如意なできごとが積み重なっているから…。
説明されるとなるほどと思うことばかり。
第5章「なぜ、人の世話になりたくないか」の分析が貴重だ。
高齢者は介護されると、何かお返しをしたいという「返報性」を抱く。
しかし、心身が弱ると介護家族などにお返しをすることができない。
家族との力関係に不均衡が生じ、高齢者は弱い立場になる。
精神的な負債感があるのに、解消できないために、家族の言うことに逆らえないと感じ、介護されることに苦痛を感じるという心理過程をたどるそうだ。
また、ピンピンコロリを願う心の根底には、病気や障害を持つ人への差別感があると指摘する。
「自立こそがよい」とするサクセスフル・エイジングには弱者切り捨ての発想がある。
自立こそ大事という介護における「自立支援」の行きつく先は、病気や障害がある人の存在否定にならないか。
人は自由でいたいのだから、自己決定できるなら、「自律支援」があるなら、人の世話になることを受け入れることができるのではないかと問いかける。
(佐藤眞一著/光文社新書/777円)
