BF073 『家族という意思 ―よるべなき時代を生きる』

評論家の著者は、家族とは「自分のいのちの受けとめ手が一緒にいること」だという。
母親は「生物的な親」から”原初的母性的没頭”をすることによって、はじめて「受けとめ手としての親」になるそうだ。
だが、時代は家族単位から個人単位の到来を告げている。
「少子化は、家族内への自己本位主義的志向が浸透したことの顕著な現象」なのだ。
自己本位主義のなかで「身近な他者への無関心」が広がり、よるべない”社会なき社会”になっているのではないか。
自殺者が3万人を超えるのが10年以上、続いている。
高齢者の自殺者が多いが、女性に少ないのは「母親は、いのちの主体である自分の基盤を娘との対幻想に置いている」からという。
だが、子育てには母親の”原初的母性的没頭”があるが、親の介護にその”没頭”はない。
介護する者には「両面的な家族感情」があるが、老いに対する「許容の限界線」を超えてしまうと「家族感情の抑制不能状態」になり、「死んでもらいたい」という情念が「殺したい」にまでつきすすむ。
自己本位主義を受け入れるなら、老いるいのちの「最後の受けとめ手」に指定されるのは誰なのか。
高齢の両親と著者自身の関係も紹介しながら思索を重ねるが、道筋はまだみえない。
(芹沢俊介著/岩波新書/ 861円)

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