認知症の妻を返されて…
舞台は長野県下伊那郡に実在する大鹿村。南アルプスに囲まれた深い谷間にあり、江戸時代から続く村歌舞伎「大鹿歌舞伎」を誇る。
そんな田園風景のなかに、風祭善(原田芳雄)はサングラスにテンガロンハットで食堂「ディア・イーター」を営む。
いにしえのベトナム戦争映画に『ディア・ハンター』(マイケル・チミノ監督)があるが、もじりだろうか?
善は「大鹿歌舞伎」の花形役者で、アルバイトに雇った放浪青年に、「何もないっていったって、この村には歌舞伎があるんだ」と胸を張る。
その頃、村役場はリニア中央新幹線の誘致をめぐってひと騒動。
「駅ができりゃ若い奴が戻ってくる」という土建会社社長(石橋蓮司)に、「農業捨てる人間が増えるだけ」と大反対の農家(小倉一郎)。
なだめ役の商店主(でんでん)も含めて、みんな「大鹿歌舞伎」の役者たち。
新幹線で反目しあって、稽古もなかなか進まない。
ようやく稽古がはじまった夜、善の妻・貴子(大楠道代)と幼なじみの能村治(岸部一徳)が現れた。
ふたりは18年前に駆け落ちしたが、認知症になった貴子は治のことを忘れてしまった。
治が「ごめん、返す」としょんぼり言い、善が怒り狂うシーンに笑ってしまうが、やるせない三角関係は300年続く「大鹿歌舞伎」の存亡にもつれ込む…。
クライマックスの「大鹿歌舞伎」は地元を中心に850人のエキストラが参加したそうだが、独特なセリフまわしと所作に挑んだ俳優陣の奮闘ぶりが豪華絢爛な衣装とともに楽しめる。
主演の原田芳雄は2011年7月、本作公開3日後に71歳で亡くなった。
『復讐の歌が聞える』(1968年)で映画デビューし、野性的で屈折した青年から野蛮で屈託あるおじさんまで100本を超える作品で演じた。
2008年に大腸がんがみつかり、余命告知後にこの映画を企画したという。
ラストシーンで、妻も幼なじみもてんでんばらばらに走り去った四つ辻にひとり佇み、「あれ?」とテンガロンハットに手をやる姿が印象に残る。
(阪本順治監督/2011年/日本/93分)
