BF088 『社会福祉事業の歴史』

福祉の1400年
著者は小学校教師から横浜市のソーシャル・ワーカーとなり、日雇労働者や児童保護の現場に長く関わってきた。その実践を背景に、古代から阪神・淡路大震災まで日本の「社会福祉」を俯瞰したのが本書。
1998年刊行で、古代から近代までの「慈善救済の時代」、明治・大正にかけての「慈善事業の時代」、関東大震災後の救護法制定など「社会事業の時代」、敗戦後の「社会福祉事業の時代」と4章に分けた解説は、コンパクトでわかりやすい。
聖徳太子の時代から、日本の社会福祉事業は仏教思想にもとづく人道主義的活動が中心であったこと。並行するように、人びとの相互扶助活動が多様にあり、江戸時代には「公共的制度化」が図られた。
自由民権運動の時代にはキリスト教系の活動が広がり、「生活困窮者の救済は社会の義務であることは当然として、結果としては自分自身の権利をも守ることになる」という考え方が登場する。
「救済活動としての社会調査」に取り組んだのは明治期の新聞社であり、東京養育院(現在、東京都健康長寿医療センター)や知的障害児施設「滝乃川学園」(現在、社会福祉法人滝乃川学園)、感化院「家庭学校」(現在、社会福祉法人東京家庭学校)などが開設されていく。
日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造の実践は「社会福祉は、その当事者が主人公であり、当事者の意志を尊重していくことがもっとも大切なことである」ことを示した。
興味深かったのは、民生委員制度のルーツが済世顧問制度(岡山県)と方面委員制度(大阪府)で、現在の生活保護法につながる「救護法」制定の原動力となったことだ。1929年に法律はできたが、政権交代、財政難を理由に実施されないなか、全国の方面委員が天皇に上奏(直訴)することにより制度化された。「権利として実現したのではなく、お願いして受け入れたもらったという構造」を著者は指摘する。
第二次世界大戦への準備が進むなか、厚生省ができ、社会保険制度が導入されるが、「保険料はほとんどすべてが戦争継続のための公共事業に投入され、福祉救済には活かされていない」。
敗戦を経て日本国憲法のもとで生活保護法、児童福祉法、災害救助法、身体障害者福祉法が成立し、脳性マヒの人たちの「青い芝の会」の活動が「ありのままの自分を肯定し、受け入れるということは、他者の存在をもありのままに受けとめる」という地平を開く。
だが、「高齢者対策にも、家族が主な介護の担い手であり、民間や公的な介護援助はその補完であるという基本認定は一貫しているように思われる」と懸念も示す。
現行の社会保障制度がなぜ、いま、ここにあるのか、1400年の時間を整理して示してくれる。
(野本三吉著/明石書店/2520円)

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