「介護者は修行僧じゃない」
「何年やっても介護は慣れないよ」という著者は1996年、認知症の父親の介護に遭遇する。区役所に行くと、施設の申し込みは2~3年待ち。紹介されたのは山奥の病院。「本気で、行政に頼るのをやめたのです」。
職場の同僚に紹介された病院で、医師が「君! 1週間! がんばれ!」と言われて、ようやく入院。そして、ようやく特養に空きができた。しかし、入所6ヵ月で緊急入院して翌日、他界。「在宅介護をあきらめた以上、原因を追及するのはやめました」。
父親の死後4年ほどで、今度はアルツハイマー型認知症になった母親の介護がはじまった。「『認知』を認知していない世間。困ったものです」。
介護と仕事は両立せず、やむをえず退職。「しゃあないやるかって感じですか」。
著者の姿が見えないと、母親は落ち着きを失う。食事をしているときだけがひと息つける時間。
ショートステイを利用すると「日常生活に戻すには時間がかかります。ショートに入れる前の数倍、疲れます」。
おまけに介護保険は保険料負担の上、サービスを利用するほどお金がかかる。「無職の自分にとって、この保険サービスを使わないことが最善なのです。一度でいいから、上限まで使ってみたいものです」。
「介護でいっぱいいっぱい」のある日、著者は在宅介護支援ボランティアグループ「すずの会」と出会う。「たぶん、包括がボランティアに振ったんだな、これが今の福祉の現状なのだろか?」。
しかし、月2回ほどミニデイに参加するようになり、「うちのお袋を、笑顔であやしてくれるんです」。
「すずの会」に指摘され、精神科を受診。「夜! 寝てくれるんですよ」。「在宅介護は、1人じゃ無理と、痛感」。
でも、「介護者にケアマネがない以上、自分で自分自身のケアをするしかない」。
介護をしてきて一番嫌いな言葉は、「本人(認知症)が、一番、大変。一番、かわいそうなんですよ」。「こんなことを言うようなマニュアルがあるのかな?」。
「介護者が倒れたら、その日から困るのは要介護者だ。なのに、介護者の将来を保障する制度はどこにもない」。
「すずの会」で出会ったシングルの息子介護者・寺さんとの座談会では、「これからシングル介護の山盛り状態になるんでしょうねえ。行き詰るでしょうね」、「介護は予測がつかない。だからね日々をどうやって過ごしていくのか、だよね」と語り合い、第三者も行政も「それぞれの介護」を認めることが大切と一致する。
(鈴木宏康著/筒井書房/1260円)
