BF141 『生かさず、殺さず』
小説の舞台は、東京都板下の総合病院のワンフロアを占める通称「にんにん病棟」という認知症の患者専用の病棟。
糖尿病やパーキンソン病など、さまざまな治療が必要な認知症の患者をまとめて収容している。
病棟全体を統括する医長・三村は外科医出身で、スモーカーの看護師長・大野江、認知症看護・認定看護師である主任・佃など看護師たちと日々、多忙な業務にあたっている。
病棟での「自分がなぜ、ここにいるのかわからない人たち」が引き起こすトラブル、価値観が多様な家族とのやりとりなど、医療者側の視点からバラエティに富む風景が描かれる。
メインテーマは、「認知症の人をどこまで治療すればいいのか」という医療の悩み。
認知症の人への対応でストレスがたまった看護師を集め、三村がカンファレンスを開いた時の会話は、小説に仮託して医療現場の本音を紹介している。
暴力的になる患者に薬を飲ませて眠らせなければ、スタッフも家族も、そして本人も疲れきってしまう。「命は尊いとか、生きているだけで意味があるとか、現場を離れたところで語られる美しい文言が、まるで宇宙人の言葉のように感じられる」ときもある。
途中で止めることができない延命治療を望む家族をどう説得したものか、という悩みは、がん治療の専門医の小説にも出て来た記憶がある。
そして、もうひとつ、入れ子になっているテーマは、失敗を重ねながら熟練していく外科医という仕事のこと。
三村はかつての同僚で、売れない小説家の坂崎に「認知症をテーマにした長編」作品のため、協力してくれと依頼される。
少し不安を感じながらも取材に応じていくうちに、三村は外科医時代の手術ミスをめぐるトラブルに巻き込まれていく。
三村が相談した外科医時代の上司は、「人間のすることなんだから、うまくいかないこともある」と言う。ごもっともではあるが、患者サイドで考えれば「うまくいかない」ケースにはなりたくないものだ。
三村が当惑と逡巡のなかで悩む過程がスリリング。読んでいて、人のよい三村の対応にいらいらしつつも、こういうキャラクターでないと認知症の人たちとつきあう医師にはなれないかも知れないとも思う。
「にんにん病棟」は、「地域包括ケア病棟」に該当する。
2014年度の診療報酬改定資料で「地域包括ケア病棟」とあるのを見て、「地域包括ケアを支援する病棟」とはどんなものだのだろうと思っていた。
本書でも、60日を限りに診療報酬が一気に下がるため、入院期間を抑える必要があるなかで、経理を担当する事務部長とのやりとりが出てくる。
新興宗教のような自由診療の認知症クリニックも登場する。高額の治療費でも、認知症を治すことはできないが、「高いお金を払うと、それを無駄にしたくないというバイアスがかかるから、人は信じやすくなる」という説明にうなってしまった。
なお、タイトルの「生かさず、殺さず」の意味は、「生きていられるギリギリ」ではないことが最後に明かされる。
(久坂部羊著/朝日新聞出版/1700円+税)
