『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』
北海道育ちだが、学生時代、図書館で『旧土人保護法』という資料をみつけ、アイヌ民族を差別する法律がまだ生きていることを知ったときにも驚いた。
はじめて障害者自立生活運動をしている人に出会ったとき、「健常者は差別者だ」と言われ、どう返事をしたらいいのか困った。
いずれも20代前半の記憶に残る体験だった。
その後、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」や介護問題の活動に関わり、ようやく、自分は被差別者ではないのだから、差別者として差別を考えたほうがいいことに気がついた。
自己規定するのに、ずいぶん時間がかかったもんだと思っていたときに、本書に出会った。
著者は「マイノリティ、人権、差別論」を専門とする研究者。
序章に「私自身も知らない自分の中の差別的な意識」が怖くなったのが執筆の動機とあり、親近感を抱いた。
そして、差別的な言葉や行動をとっても「自分は差別などしていない」と”偽りの信仰”を持つ人たちと、その差別は「他の市民の存在を否定する人格の侮辱であり暴力だ」と訴える人たちの”果てしない平行線”をどうしたらいいかという問題提起にも、変な表現だが、嬉しくなってしまった。
第一部は「善良な差別主義者の誕生」。
被差別者に少数の恵まれた存在があると、まるで差別がないように見える奇妙な現象。
社会的な不平等と、個人が日常的に経験する世界は、かならずしも一致しない。
差別される当事者が消極的な行動をすると、社会の差別的な構造が自然に維持される。
第二部「差別はどうやって不可視化されるのか」は、多様な文献を駆使して、「公正な差別」「偏った能力主義」「公共空間の入場資格」「嫌いと言える権力」など、私たちが抱える矛盾を整理していく。
第三部「私たちは差別にどう向きあうか」では、「差別されないための努力」より「差別しないための努力」をすべしと語る。
翻訳者のあとがきに、原題は『善良な差別主義者』とあった。
差別は「私たちが思うよりも平凡で日常的なもの」なのだから、「まだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代を生きているのだ」という指摘をかみしめた。
読了後、韓国では「女性家族省『廃止を』 野党候補が争点に 『女性優遇』の声 若い男性票狙う」(2022.01.24朝日新聞)という記事を読んだ。
著者が「デメリットをこうむった経験がない『特権』を持つ者」は、「『平等になること』を自分の損失と考える」という指摘を思い出した。
何度でも読み返して、考えたい一冊。
(キム・ジヘ著/大月書店/1600円+税)
