BF043 『普通をだれも教えてくれない』

 哲学と倫理学を専門とする著者のエッセイ集だが、文章は身近に感じられる。
 神戸児童虐殺事件や阪神淡路大震災、不況による就職難など80年代から近年までの社会事象に触れながら思索を深めていく。個人的には、パッション(受難、情熱、受動)をめぐる考察が興味深かった。
 印象的だった記述をいくつか。

 

「プライヴェート(private)とはもともと『奪われている・剥奪されている』(prive、deprived)というしみであり、それはつまり『他者との関係を欠いている・公共的な意味を書いている』ということなのである」

 

「『自立』ということがよく言われるが、これは『独立』のことではない。独立=非依存で生きられるひとはいない。『自立』はあくまで『相互依存』という人生の取り消しえない条件下で、ある限定された文脈で、はじめて口にでることであり、すべきことである。それを知らないひとが『自立』という、もうひとつの流行語をかんたんに口にする」

 

「税とは呼ばれないが、高税といわれる他の福祉国家に劣らず、家族は出費しているのである。」「『崩壊しかけている』家族に、もっとも負担をかける社会とは何だろうか。崩壊しかけているものを救うのではなく、それに追い打ちをかける行政とは、いったい何だろうか」

 

「都市社会に住むわたしたちに必要なのは、同一の目的や理念を共有することでなりたつ共同体ではなく、むしろ目的や理念を共有することなしになりたつ共同体ではないのか」

 

「先端医療技術の発展と社会の超高齢化とがますます進み、公私を問わず他人の世話にならずには生きてゆけないひとたちの占める割合もますます増えてゆくだろう。そのときにはおそらく、近代社会が前提としていたような、じぶんのことをじぶんで決定できるという『自立した個人』という理念は非現実的なものにならざるをえない」

 

「インディペンでンス(自主独立)でもなく、むしろ『他からささえられ、他をささえてゆく』ことではじめて自己決定できるようになる。そういうインターディペンデンス(相互依存)という考えからわたしたちの共同生活をとらえなおすことが必要なのだ」

(鷲田清一著/ちくま学芸文庫/1260円)


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