BF048 『紅梅』

 東日本大震災で注目された『三陸海岸大津波』の著者・吉村昭は、2006年に膵臓がんで亡くなった。点滴の管を自らはずした壮絶な最後だったとの報道が記憶に残る。

 著者は吉村の妻であり、小説家として創作上のライバルでもあった。
 本書は小説の形を取っているが、夫妻の闘病の日々を描き、ルポルタージュに近い印象を抱かせる。

 文学者として著名な夫婦は、執筆のほか講演などもあり、それぞれに多忙だ。そうした日常に覆いかぶさってきた夫の舌がん。おまけに夫は、ふたりの子どもとその配偶者以外には「絶対もらすな」と厳命した。放射線治療で入院すれば、仕事のある妻を気づかい、見舞いに来るなと言う。そして、昭和ヒトケタ生まれの夫婦には、そんな日々にも親族、知人、友人の死の知らせが舞い込んでくる。
 綿密な取材を元に創作する夫はもう長篇を書かないと宣言。退院後は家の周囲を散歩したり、買い物をしたり、「長い結婚生活で、こんなに一緒に過ごしたことはなかった」。
 だが、今度は膵臓にがんがみつかった。摘出手術にインシュリンのコントロール、抗がん剤を点滴し、免疫療法を受け…。

 幕末の医家や心臓移植などをテーマとする作品もある夫は、その頃になると、「いかなる延命処置もなさらないで下さい。あくまでも自然死を望みます」という医療機関宛の『お願い』を用意していた。

 妻は夫を家に連れ帰る決意をした。地元のクリニックに連絡し、自宅療養の部屋を用意し、退院日を早めた。訪問看護ステーションの看護師や娘の応援も得て、在宅介護がはじまったある日、夫は吸呑みでコーヒーをひと口、ビールをひと口飲んで、「うまいなあ」と満足そうに言った。その夜、夫は点滴のつなぎ目をはずし、「もう、死ぬ」とカテーテルポートをひきむしった。
 娘と看護師がかけつけたが、妻は夫の強い意志を感じ、「もういいです」と言った。息子もかけつけ、もう声は聞きとれなかったが、妻子三人に囲まれて夫は亡くなった。

 著者みずからを客体化して描きながらも、「もっと、話をすればよかった」、「小説を書く女なんて、最低だ」、「情の薄い妻に絶望して死んだ」という本人の心情をも盛り込んだ作品。
(津村節子著/『文学界』2011年5月号/998円)


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