BF054 『ああ認知症家族 つながれば、希望が見えてくる』

 著者は4歳のときに福井大地震にあい、京都の伯母夫婦に引き取られ育ったという。

 だが、可愛がってくれた養母は75歳くらいから異変が現れ、著者は共働きで子育て真っ最中のなか、自費で頼んだ家政婦さんの助力を得て介護を続けた。
 心身の疲労と将来への不安がのしかかるなか、往診に来てくれた三宅貴夫医師に「家族のつどい」に誘われた。

 出席は大きな衝撃だったと言う。

 「自分だけだと思っていた苦労が、そうではなかったのです」。

 この「家族のつどい」が1980年、家族たちの自主組織「呆け老人をかかえる家族の会」の誕生につながり、著者は代表となった。

 翌年、養母は自宅で亡くなった。
 認知症の人と家族の気持ちは30年前も今も変わらない。

 しかし、「今日の状況と決定的に違うのは、社会的な対策」の有無にある。

 そして、「痴呆性老人」と呼ばれていた”旧時代”に比べ、認知症の人を取り巻く環境は確実に”新時代”に変わったという。
 ”新時代”の大きな特徴は、①介護は家族だけではできないという社会の理解が進んだこと、②認知症の本人が語るようになったことだ。
 「家族の会」は当初、京都の20家族ほどの組織を予定していた。

 しかし、結成総会が新聞で予告され、全国から90人が集まったのが、全国組織となるきっかけだった。
 それぞれの地で「家族のつどい」を開こう、「家族の会」を作ろうという決意が、現在の46都道府県に支部があり、1万人を超える会員を擁するまで広がった。
 「家族の会」には、「ぼけても安心して暮らせる社会を」、「ぼけても心は生きている」、「百の家族があれば、百通りの介護がある」、「がんばりすぎないけど、あきらめない」、「家族の暮らしあってこその介護」など、実感にあふれた合言葉がたくさんある。
 活動の中心は、①家族どうしの励まし合い助け合いと②社会への訴えのふたつ。

 だが、「介護の苦労を実際に軽減するためには、社会的サービス、つまり行政による施策が進まなければなりません」。

 1982年、初めて厚生大臣(当時)に要望書を出したのを皮切りに、2000年度からはじまった介護保険制度にも、歓迎しつつ「認知症への対応」を求め続けてきた。
 30年あまりの活動をふりかえり、著者が思うのは「最初に声を上げるのは常に少数の人たち」であること。

 困った家族がいちばんに声を上げ、それを支える市民が現れ、支援活動がはじまる。その姿を受けとめる医師をはじめとする専門職が具体的援助でつながり、「一番最後に動くのが行政」ではないかとも語る。
 認知症の人の行動の理由がわかっても、介護は楽にならないし、家族は介護だけで生きているわけではない…。「ホンネで語る家族の心得」には長い蓄積にもとづく細やかなアドバイスがつまっている。
 「在宅であろうと施設であろうと、認知症の人も家族も幸せに暮らせるような社会」が大事であり、認知症だけでなく障害者や難病者、薬害被害者などあらゆる人の「価値や尊厳には何の違いもない」という社会認識が広がっていくことが「希望への道筋」と説く。
(高見国生著/岩波書店/1575円)


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