精神科医として活躍する著者だが、2010年11月、父親が82歳で病死した。
産婦人科医として元気に働いていた父親だが、80代に入る頃には糖尿病性の腎臓障害が起きていたという。人工透析が検討されたが、本人が「なるべく保存的(外科手術によらないで治療すること)にしてほしい」と望み、著者は東京と北海道を往復する”遠距離看取り”に入った。
入院している父親をみているうちに、「もう父にとって医療はいらないのではないか」という考えがわき起こり、自宅で最期を迎える決断に至ったという。半日でしかなかったが、家族全員、連れ帰ってよかったと深い満足を感じたそうだ。
だが、誰でも在宅看取りを実行できるわけですない。考えていくと、「いま急激に広がりつつある『在宅看取りブーム』は、一方的な価値観の押しつけになる危険性も否定できない」。
私たちは介護や看取りのために休むとは言えない会社に勤めているし、介護や看取りの費用もかけようと思えばいくらでもかかってしまう。
遠距離であろうと同居であろうと介護に入れば、「介護うつ」など「自己肯定感の暴落」に直面する。看取りを終えれば、「サバイバ―ズ・ギルト(生き残った人の罪悪感)」に陥るし、「私の介護や看取りは間違っていたのではないか」と悔やみもする。
だが、介護を受ける側が”その人らしさ”を重視したケアを受ける必要があるように、介護する側の”その人らしさ”もまた大切にされなければならない。
結局は「自分なりにできることを、無理のない範囲でやっていく」ことが「最良の介護、看取り」ではないかと問う。
(香山リカ著/祥伝社新書/798円)
BF061 『「看取り」の作法』
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