BF065 『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』

著者は介護保険がスタートした2000年から、老人ホーム(特別養護老人ホーム、養護老人ホーム)の常勤配置医師をしている。
老人ホーム医師の出番というのは「病院が見放したあと」で、著者はこれまでに200人以上を看取った。そのモットーは「死にゆく自然の過程を邪魔しない」、「死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない」のふたつ。
死に際に苦しむのは「医療による”虐待”」と「介護による”拷問”」のせいだとその表現は激しい。
強制人口栄養法(胃ろう、鼻腔栄養、中心静脈栄養)などで「できる限り手を尽くす」のは、「できる限り苦しめる」こと。死期が迫り食欲が落ちたときに医療措置をとらなければ、「飢餓」「脱水症状」という”老衰死コース”で7~10日で亡くなる。その過程は本人にとって「夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態」なのだという。
福祉関係の「いい看取り介護ができた」は、誰にとってよかったのか不明だ。がん検査はストレスを強いられる「早期発見の不幸」があり、人生の幕引きを思い通りにできる「手遅れの幸せ」もある。
現代の日本人は若さにこだわり、「年のせい」を認めず、「死」を考えることがない。
近代医療に過度の期待を抱き、「老い」を「病」にすり替えてる。
「年をとれば、どこか具合の悪いのが正常」であり、リハビリは必ずしも病前の姿への復帰を意味しない。
だが、「多死時代」を迎え、すべての人が病院や施設で死ぬことは不可能な時代が到来している。「どこで、誰に、どのように介護されて死ぬか」を前もって考えておかなけばならない。
著者自身は1996年から「自分の死を考える集い」を続け、棺に入ってみる、救急車乗車拒否のシミュレーションをするなどの活動をしている。
死を視野に入れてこそ、充実した生があるのだと主張。「健康」に振り回されず、「死」にあらがわず、医療は”限定利用”を心がけるのが肝要と説く。
(中村仁一著/幻冬舎新書/798円)

投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: