2008年、著者は70歳の妻に先立たれた。
就寝前の入浴時にくも膜下出血で意識を失い、夜半に目覚めた著者が発見した時は遅かった。
妻は年下で「てっきり私のほうが先に死ぬと思っていた」。
2011年、今度は81歳の著者が新年会で意識を失った。
救急救命センターに運ばれ、心臓にペースメーカーを入れることになった…。
本書では、少年時代に軍国教育で叩き込まれた「名誉の死」、東京大空襲で見たしたいと瓦礫に覆われた焼け跡、精神科医として心理研究をテーマに関わった死刑囚たちの死、フランス留学中に自動車で崖から転落した臨死体験など、著者が出会った多くの死を紹介する。
東日本大震災の地震と津波、そして福島原発事故は、著者に戦時下の都市爆撃、広島、長崎の原爆投下を想起させた。一連の大震災報道に「大本営発表を思い出す」。
死は謎であり、理不尽だが、人は必ず死ぬし、いつ死ぬかわからない。だが、やがて来る死の瞬間まで、どう生きるのか…。私たちはこの問いを常につきつけられながら生きている。
放射能とともに生きざるをえなくなった今、これからの世代にどう生命をつないでいくのかこれまで以上に深く考える必要がある。
科学が発達して「わかった」ことが増えたが、同時に「わからない」という”無限の暗黒”に触れざるをえなくなった。そこに祈り(宗教)が生まれるのだという。
徐々に死に近づいていると自覚する著者は、「全世界から原発と原子爆弾がなくなったのを見てから死にたい」と祈る。
(加賀乙彦著/集英社新書/735円)
