フジテレビのニュースキャスターの著者は、いわゆる高級サラリーマン。
だが、仕事人間の著者が51歳のとき、5歳下の妻が倒れた。
ひとり息子はまだ10歳。
なかなか搬送先がみつからない救急車。ようやく受け入れた病院の診断は「グレード5の重篤なくも膜下出血」。
手術をし、入院3日目から早期リハビリがはじまり、再手術が待っていた。
仕事は休んだものの、息子の学校や塾への連絡、加入保険のチェックなど金銭面の管理など膨大な作業が押し寄せてくるなか、「生活が仕事の一部であってはならないのだ。私は反省した」。
だが、高次脳機能障害を負った妻は、1ヶ月で「急性期」病院から「回復期」病院に移らねばならない。
ようやく探し当てた転院先では「リハビリ医療」が待っていた。
そして、看病と家事をこなしながら仕事を再開し、妻の帰宅準備。
病院の医療ソーシャルワーカーの支援を得て、介護認定を申請し、インターネットでケアマネジャーを探し、家を改修し…。
核家族の「司令塔」として奮闘する著者に、親戚は「何かあったら手伝うから」と言ってくれたが、「毎日『何か』があるので、正直、返事に困った」という。
そして、待ち焦がれた退院は、「新たな戦いの始まりに過ぎなかったのだ」。
歩行が不自由な妻を介助しながらの散歩では、すれ違う人の「冷たい視線」が突き刺さった。近所にオープンしたレストランは入店を阻み、乗車拒否するタクシーもある…。
介護保険は、ホームヘルパーの訪問時間が午前8時前は「特別早朝」で、午後6時以降は「特別夜間」になり費用が大きく変わる「不思議な制度」。
そして、「同居人がいる場合、被介護者の世話や家事は、同居人がすべきだと考えている」「とてつもない欠陥を持った保険」だ。著者は自治体窓口にかけあったが、「『ルールはルールだ』と言って絶対に譲らなかった」。
思わず涙声になった著者に、担当者はショートステイを勧めたという。
「毎日、見守ってやりたいから、仕事に汗しながら介護もしているのだ」。
「高級取りだとはいえ、サラリーマンの給料で必要な人手をまかないきるのは不可能だった」。
著者と息子を中心にホームヘルパー、訪問看護師で毎日をまわしていったが、妻は持病の卵巣嚢腫が悪性転化し、手術が必要になった…。
さまざまな困難に悩みながら著者は「妻と仕事を天秤にかけない」、「これから先、私は妻の分身となろう」と決意した。
脳血管疾患へのリハビリ医学の進歩はめざましいが、厚生労働省のいう「在宅中心」の介護態勢では「この気の遠くなるような回復の時間」が担保されないと指摘。
また、医師の診察や助言を伴う「医療行為」が絡むことは医療保険にしないと、介護保険でできなくなることが増えると危惧する。
「机上の空論だけでは日本の超高齢化の波を救うことはできない」と現場の声、現場の知恵の重視を訴える。
(松本方哉著/新潮文庫/515円)
