光二は高校卒業後、家出同然に東京に出た。
幼児期に性的被害を受けた記憶に苦しみ、アスベスト被害に会い、がんの手術をし、群発頭痛を抱え、離婚した前妻との間に3人の子どもがいる。
柚子と再婚して故郷に暮らし、時折、実家に戻るが「自分はこの家と和解していない」、「まだ、この家に還ってきてはいない」と思っている。
県庁職員だった83歳の父・伸朗は、アルツハイマー型認知症が進み、苦労してデイサービスに通いはじめ、母・まち子の入院をきっかけに特別養護老人ホームに入り、あっけなく逝ってしまった。
77歳の母は父親の介護に苦労しながら家の切り盛りをして、夫を看取ったが、東日本大震災で東京の長男の元に身を寄せた。
母を迎えた兄・伸一は3歳上で、出版社に勤め、子どもがひとりいる。父の最期には間にあわなかった。
姉・一恵とは7歳離れ、仙台市に住んでいるが20年近く音信不通で、父の葬儀にようやく現れた。
父の認知症が重くなるとともに、家族にさまざまな波紋が生じるが、柚子に支えられ光二は通い介護を担う。
だが、家に向かうたび、幼児期に性的暴行を受けたトラウマ、母や兄の仕打ちなどが繰り返し思い出される…。
「認知症になった父のことを、自分の家に対する蟠りと併せて」連載された私小説は、東日本大震災に遭遇した後、家族ドキュメントに変容する。
母は地域包括支援センターに行き、介護保険の仕組みがわからず「あっぺとっぺ」(「とっちらかる」といった意味の方言)になった。
仕事を持つ妻は「(介護を)色々なことをあきらめたり断ったりする口実にはしたくないの」と語った。
父がショートステイで利用した特別養護老人ホームに津波が流れ込んだ。
その父はどこへ連れて行かれるのかわからず怯えていた。
点滴やカテーテルをはずす父を拘束したいと病院に言われ、「ほんとうは、それを拒否したら、父の命はどれぐらいしか持たないのかを訊きたかった」。
避難所に暮らす友人を訪ね、「外からの力によって家へ戻ることが有無を言わさず不可能になった者たちの姿を前にすると、我が身のことだけにかまけてきたようで自省させらるものがありました」。
(佐伯一麦著/新潮社/2300円)
