BF105 『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』

「女性は男性ほど稼がない」保守主義の国についての多面的考察
日本の女性は、1970年代半ばが専業主婦割合のピークだったが、それでも「5割を超す程度」だったと教えられてちょっと驚く。
一方で「女性が働くことが深刻な出生率の低下をもたらしている」という主張があるが、女性の就労と出世率に相関はないそうだ。
では、なぜ出生率は低下の一途なのか。
国外をみれば、アメリカとスウェーデンは「男性も女性も活発に稼ぐ国」で、日本・ドイツ・イタリア(第二次世界大戦の同盟国だ…)は「女性は男性ほど稼がない国」という。
ちなみに、「男性も女性も活発に稼ぐ国」のうち、アメリカは自由主義で小さな政府(低負担・低福祉)の「格差のある低福祉国家」。
もうひとつのスウェーデンは社会民主主義で大きな政府(高負担・高福祉)の「格差の小さい高福祉国家」。
「女性は男性ほど稼がない国」である日本・ドイツ・イタリアの共通項は保守主義で、性的役割分業が強く、出生率は低レベルということ。
スウェーデンの紹介で興味深いのは、公的セクターで働く女性が多く、7割が介護関連のケアワーカー、2割が保育職で、ほとんどが「広義のケアワーカー」であることだ。
政府がケアサービスを提供するために女性を大量に雇用し、女性をますます育児・介護から「解放」した構図。
日本は1970年代から出生率の低下が進んでいるが、大きな原因は「未婚化」。
未婚化には「晩婚化」と「非婚化」があるが、その原因ははっきりしない。
著者の仮説は「高学歴女性が経済的に自立し、結婚のハードルを上げた」というもの。
他国でも働く女性が増えた国は出生率が下がったが、スウェーデンは公的両立支援制度(休業制度、休業中所得保障制度、保育サービス)で、アメリカは「民間企業主導の柔軟な働き方」で女性が働くことにより、出生率が上がるという効果を生んだ。
日本は「男性的な働き方」が女性の正規雇用を阻み、「女性の労働力参加が他の先進国並みの水準に達する」ことなく、「少子化を加速」させてしまった。
配偶者控除制度と第3号被保険者制度というふたつの社会保障制度も、女性の就労を阻む。
大きなポイントは、男女雇用均等法と育児・介護休業法を整備しても、「女性を従来の男性的な働き方に近づける」前提がある限り、「共働き社会」は実現できないこと。
女性の労働力を活性化するには、男女の賃金格差の縮小と性別分業の緩和が必要だ。
女性が働くときに必要な育児・介護ケアは、自由主義では市場が、社会民主主義では政府があてにされるが、保守主義では家族が重視される傾向がある。
しかし、ケアワークで賃金を得ることができれば、税・社会保険料を負担する者が増え、社会保障制度を維持しやすくなる。
ただし、ケアワークという対人サービス業は「生産と消費の同時性」があり、効率化が難しく、労働コストの抑制に限界がある。
また、ケアワークは、「限定高度専門職」(研究・技術職)と単純作業労働者の中間に位置するのが特徴だ。
介護職員の不足が語られる現在、「生産性の劇的な向上が見込めないケアワークの供給問題」を議論するには、「正しい現状認識が欠かせない」。
財源問題でみれば、日本は高齢化に伴い年金支出は増えたが、「家族支援のための社会的支出は依然として低いまま」で、「家族主義」が家族を潰す構造にある。
また、日本の男性は「労働時間が短くても家事をしない」。
その理由には、「生計維持分担意識」もあるが、スキル(習熟度)格差がまず問題になるという指摘が面白い。
スキルが求められる調理を男性が担当した場合、「低品質か、あるいはやたら『高品質』だが家計的には非合理的なサービス(高い肉を買ってきて焼くなど)」になる。
もうひとつには、家事に高い水準を求める女性との間に「希望水準の不一致」が存在し、希望水準の合意には心理的負担が大きくなる。
このため、日本では洗濯と調理は女性の担当となり、男性はゴミ出しをする。
日本は1970年代以降の経済不況を背景に、高負担を嫌った政府が、福祉を「企業と家族」に委託する路線をとった。
また、男性の安定的雇用で所得を保障し、女性は家庭を守る性別分業体制を維持したため、「共働き」社会に移行するチャンスを逃した。
だが、社会全体の経済力にゆとりがないと、格差を縮めるための再分配もままならない。
「支え合い」には無償労働(ボランティア)もあるが、まずは有償労働の世界で多様な人々が活発に働く環境こそが、社会に余裕をもたらし、弱者を救うことにつながる。
女性が働くこととケアサービス、私的な家事分担まで見渡して、「お金を稼ぐことは利他的である」ことを考えるべきと説く。
(筒井淳也著/中公新書/842円)

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