BF107 『長いお別れ』

認知症介護の「ロング・グッドバイ」
タイトルを見たとき、古典的名作のハードボイルド小説(レイモンド・チャンドラー)と同名なので、ちょっと敬遠気味だった。
チャンドラーのタイトルは「ザ・ロング・グッドバイ」で清水俊二の名訳と言われるが、本書では、長期介護をアメリカで「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」と呼ぶことを教えられた。
東昇平は中学校の校長を退職し、公立図書館館長という名誉職も終えて、妻・曜子とふたり暮らし。
悠々自適の日々だったが、「ものわすれ外来」でアルツハイマー型認知症の初期と診断された。
夫婦には3人の娘がいる。
長女は夫と2人の息子とアメリカ西海岸に暮らし、二女は夫と息子の核家族、三女はフリーのフードコーディネーターで未婚だ。
曜子は夫の誕生日にあわせて、それぞれの人生に忙しい娘たちに召集をかける。
現実を突き付けられた娘たちは、まずはGPS機能付きの携帯電話を持たせる。
行方不明となった昇平をGPS機能で追跡するやりとりが面白い。
昇平と周囲の人たちの関わりの紹介もまたリアルだ。
大学時代からの親友の葬儀で、他の同級生たちが昇平の病気を認識するまでのやりとり。
アメリカで育つ小学校3年生の孫は、祖父の漢字の知識に驚嘆し、「言ってることが、言いたいことと違っちゃってるけど、考えてることはあるんだよね」と理解する。
意味のある言葉は少しずつ減ってくるが、失恋を嘆く三女との電話のやりとりは、不思議な言語で対応しコミュニケーションが成立している。
中盤には東日本大震災が挿入され、工場の被害で治療薬が入手できないとあせる曜子が嘆き、喚いて、アメリカの長女に国際宅急便で送らせるところも印象的だ。
病気は進み、ホームヘルパーと訪問入浴、訪問診療、デイサービスが導入され、「自宅介護の老人の日々は、何かと忙しいのである」。
だが、老老介護が続くなか、曜子は網膜剥離で緊急手術と入院が必要になった。
娘たちは震撼するが、曜子はケアマネジャーに頼み、ショートステイの利用を決めていた。
とはいえ、数日は娘たちが実家に泊りこむ必要がある。
二女と三女は交替で父親と過ごすが、食事介助や夜間の幻覚と失禁に音をあげる。
「すごいね、お母さん。よくやってたんだね」。
そして、昇平はショートステイ滞在直後に発熱し、救急車で病院に運ばれる。
医師は、娘たちに大腿骨骨折で手術はできないと説明し、「今日、連れて帰られますか?」と聞く。
退院後の生活を問うと、まっすぐに「お嬢さんが、がんばるしかありません」と言う。
娘たちは有料老人ホームを検討しようと、紹介斡旋会社の相談室に出かける。
相談員から「みなさん、施設に入居させれば安心と思うんですが、施設で亡くなれるわけじゃないですしね」と言われて驚く。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)とADL(アクティビティ―ズ・オブ・デイリー・リビング)も教えられ、「お父さんのQOL」に思いをめぐらせる。
娘たちの行動が腹立たしい曜子は、昇平を自宅に連れ帰ることを断固として希望し、ケアマネジャーの介護ベッドなどの手配により、在宅介護体制が整えられる。
だが、帰宅後8日目に昇平は再び発熱し、今度は昏睡状態になる。
再び救急車で入院するが、医師から人工呼吸器と胃ろうを希望するかと問われる。
3人の娘たちは、今度は母・曜子とともに再び昇平のQOLを考える…。
認知症の発症から看取りまでの10年を、本人と妻、娘たちに孫たちなど関わる人びとの心象をていねいに織り込みながら描く。
共済年金受給世帯の話なので経済的な苦労はほとんどないが、介護ビギナー家族にとって、書店に並ぶ認知症介護入門書より参考になりそうな一冊。
(中島京子著/文藝春秋/1550円+税)

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