『エリザベスの友達』
舞台は福岡県の「終身型」介護付き有料老人ホーム。
入居者のほとんどは認知症の女性たち。
天野初音さん(97歳)は夢のなかで、ぜいたくに暮らした中国・天津租界の8年間を思い出す。
日本が植民地を拡大していった太平洋戦争下、初音さんは当時の日本では想像できない上流社会に暮らしていた。
初音さんにはふたりの娘がいる。
宇美乙女さん(95歳)は戦争をはさんで、六男二女を産み育てた。
いまは五番目の娘が面会に通ってくる。
ある日、テレビ局の取材が入った。
乙女さんは戦争中、男手が払拭するなか、「郵便配達婦」として毎日20キロの道を歩いたという。
インタビューには、息子が母親に代って、赤紙(召集令状)を配達するのが一番辛かったそうだと答えた。
土倉牛枝さん(88歳)の娘は、千里から「郵便配達婦」の話を聞き、感心する。
当時の手紙は毛筆、崩し字で、高学歴か教養のある人でないと読めなかった。
でも、召集令状は普通郵便ではなかったはず…。
牛枝さんのベッドには、長野で一緒に暮らした馬たち(軍馬として徴用された)が、
「姉っさ、お迎えにめえりやした」とやってくる。
戦死した初恋の相手が来ることもある。
入居したばかりの野川虎夫さん(90歳)は、アルツハイマーになった妻の面倒をみていた。
介護に専念し、みずからの認知症初期症状に気づかなかった。
虎夫さんは、ボランティアが連れてくるセラピードッグを、戦争中に軍用犬として中国に送られてしまった愛犬と混同している。
セラピードッグに気づくたびに、愛犬が無事に帰還したことを喜ぶ。
初音さんにはふたりの娘がいる。
姉の満州美は70代で、脳梗塞の後遺症で杖が欠かせない。
とはいえ、彼女の株式投資で、初音さんの入居費は賄われている。
戦後生まれの妹・千里は、喫茶店を経営しつつ、姉と交代で初音さんに会いに行く。
姉妹は、母の理解不明なコメントを類推して、初音さんの若かりし頃を探索する。
ホームの看護師は娘たちに、入居者たちは「今、ここに生きているのに時間だけが過去のものなんです」と説明した。
千里は思う。
「長い一本道を振り返って、近い時間からどんどん景色が消えていく理不尽…。遠い彼方の景色の方がはっきりと残っている奇妙。」
戦中、戦後を生きぬき、認知症になった人たちの「遠い彼方の景色」を多様に描き出した作品。
(村田喜代子著/新潮文庫/550円+税)
