気づくのはいつも遅すぎる
胸の筋肉だけで鎖を切ってみせる旅芸人、”鉄の肺の男”ザンパノ(アンソニー・クイン)は、妻兼助手だったローザが死んでしまったため、その妹でちょっと知的障害のあるジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を買い取った。
荷車付きバイクでの巡業の日々、ジェルソミーナは暴力的なザンパノから芸を仕込まれる。
嫌で逃げ出しても、ザンパノが追いつく。
ふたりはサーカス団に合流したが、ザンパノは綱渡り芸人(リチャード・ベイスハート)にからかわれて逆上。
ナイフを振り回して追いかけ、綱渡り芸人もろとも逮捕されてしまう。
サーカス団は立ち去ることになり、ジェルソミーナに一緒に行こうと言う。
ザンパノより1日早く釈放された綱渡り芸人も「嫌なら逃げたらいい」と誘うが、ジェルソミーナは「私は何の役にも立たない」と動かない。
綱渡り芸人は「君はザンパノが好きなんだ」とあきらめ、「道端の石だって何かの役に立っているんだ。神様が知っている」と励まして立ち去る。
釈放されたザンパノとジェルソミーナの旅が再開された(雨宿りした女子修道院でもジェルソミーナは留まるかと誘われる)。
ある日、綱渡り芸人をみつけたザンパノは彼を殴り殺してしまった。衝撃を受けたジェルソミーナは連日泣き続け、持て余したザンパノは「あんたひとりになったらお手上げよ」とつぶやく彼女を雪の積もる山道に置き去りにした。
数年後、ザンパノは港町で、ジェルソミーナがよくラッパで吹いていたメロディを耳にする。
ジェルソミーナは浜辺をさまよっているところを助けられたが、死んでしまったという。
ここで初めて、ザンパノは見捨てた女への愛を自覚し、深い孤独感に打ちのめされた…。
写実的な描写と抒情性で高い評価を得たこの作品は何度もリバイバル上映されていて、学生時代に観た時は「なんでこんな男についていくんだ?」と思ったものだ。
ザンパノ役のアンソニー・クイン(1915~2001)、ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナ(1943 ~1993、フェリーニ監督夫人)ともに名演で、ニーノ・ロータのテーマ音楽は今なおスタンダード・ナンバーだ。
なお、知的障害の人に注目した映画では、見えない電車を運転する六ちゃん(頭師佳孝)を描く『どですかでん』(黒澤明監督、1970年)、『ピンクパンサー』シリーズで知られるピーター・セラーズ主演『チャンス』(ハル・アシュビー監督、1979年)もお勧め。
(フェデリコ・フェリーニ監督/1954年/イタリア/104分)
