食べることは愛すること
鎌倉に住む料理家・辰巳芳子(1924年生まれ)を追ったドキュメンタリー。
辰巳のレシピは、まるで親戚のおばさんが耳元でがみがみ言うようだ。
食材の選び方に下ごしらえ、火の扱いなど、料理の「わきまえごと」に「かんどころ」をあますことなく伝える。
だが、その説明は合理的で、なぜ指定された作業が必要なのかを納得させられる。
映画の冒頭は2011年春、東日本大震災後に開いたスープ教室。
「地獄炊き」や「根性鉄火味噌」など非常食を紹介しながら、「原発の被害は本当に未来が見えない。食は生死を分かつもの」と語る。
撮影時、辰巳は88歳だが、梅干し作り(「梅仕事」と呼ぶそうだ)から厚焼き卵、白和えにポタージュまで手元は確実でよどみがない。
彼女は「スープの会」を主宰する。
父親が脳血栓で倒れ嚥下障害を起こした時、とろみのあるスープだけが喉を通った。
8年間の闘病生活をスープで支えた経験が、医療機関と連携し末期がんの人たちにスープを届ける活動につながり、全国に広がっている。
「赤ちゃんから命絶える方まで飲んでいかれる」、「看病する人たちも体力を維持するためにスープを摂ってもらいたい」。
彼女が信頼する各地の生産者の姿にも感銘を受けるが、印象的なエピソードがふたつ。
辰巳は戦時下、短い新婚生活を送った。婚約者に召集令状が届き、父親は結婚の延期を提案した。
だが、その話に相手が涙ぐんだと教えられ、「死ぬかも知れない人を泣かせっぱなしはよくない」とあえて結婚に踏み切った。
夫はフィリピン沖で戦死したが、「私は自分の判断力をずっと疑っていたのよ」。
夫の死後50年がたち、現地に赴いた彼女は、夕焼けが広がる海の輝きに包み込まれ、「私は幸せだったわよ」と夫に伝えることができたという。
もうひとつは、国立病療養所「長島愛生園」に暮らす宮崎さんという女性との出会い。
宮崎さんから末期がんの友人を辰巳のスープで支えることができたと感謝の手紙をもらった辰巳は、岡山県を訪れ「あなた、よく作ってくださったわね」と感謝する。
80代後半の女性ふたりが「ここまで生きてこなければわからないことがあったと思うことがあります」、「80過ぎてから見たり聞いたりすることって、また別ね」と語りあい、「お互いによかったわ」とほほ笑みあう姿に、穏やかな凄味があった。
(河邑厚徳監督/2012年/日本/113分)
